(1)初めてのバンコク1991年
<序>

タイには興味はなかった。東南アジアも中国も韓国にも興味はなかった。海外に行きたいという気持ちは少しあった。
けれど海外といえばアメリカ大陸やハワイ島なんかが漠然とイメージされていただけ。
通勤電車に身をゆだね遅刻ぎりぎりで自分の席につき昼は吉野家、夜はコンビ二の弁当、 TVみてぐだぐだして一時
すぎごろ寝るみたいな いってみればどこにでもいる会社員だった。

1991年春先の事のことだった。
私の住んでいた町の商店街が毎年”わが町バザールその年の正月商戦で売れ残った品々を思い思いにもちよって
”まちのバザール”というイベントを行う。
自分の住んでいたあの町に特別な郷愁はない。
人の属性を地域と絡めて”この辺の人々は親切ですよ””この町の人々は人情にあふれていますからねえ”
なんていう話をよくきくけれど、自分にはそんな地域からくる人の属性なんていっさい身にしみたことがない。
まあそれはいいとして、切れた電球の球を求めてぶらりと入った電器屋。
”あそこでくじ引きやってるよ。いっといで。”
なかば強制な言い回しで下町気取りの店の主が名刺大の紙切れを出してきた。
八角形だか六角形だかそんなような形のがらがらをまわして出た玉は青。
”おめでとおお!!おおあたりい〜”下町下町ってこうも無言で主張するなよと斜に構えてる私がもらったのは○○旅行社
バンコク6日間フリー 航空券引換券・・・

とにかくこんな調子でその年の4月ゴールデンウイークを迎えた日本から出発することになった。
ただ暑そうで、きたなそうなところというイメージでしかなかった私には出発当日になっても出かけることにすらどこか
他人ごとみたいな感覚だったことは今でも忘れない。
自発的に旅行してやろうと "○○のあるきかた" なんていう本を買おうという機転もきかせず、2-3枚のTシャツに
2-3枚の下着をつめた程度の荷物で私はドンムアン空港に降り立った。
何人もの日本人の観光客の嬉々たる笑顔に混じって。

こう言うと私は日々の日常的な暮らしに不満をいだきつつ心の開放を求めてやってきたはぐれ者の一人だと思われる
かもわからないが、当時の私ははぐれ者として行動する勇気も野心ももちあわせてはいなかった。
だた特賞を引き当てた私に”おめでとおお!!おおあたりい〜”と、ごつい顔に似合わない満面の笑みをむけてきた
おじさんにどこかうしろめたい気がしてとにかく行けばあの笑顔に報いたことになるんでしょう みたいな気持ちだった。

ホテルの予約すらしていない どこに行けばいいのかも皆目わからない・・空港内を汗だくになりながらぶらぶら彷徨った。
日本人に似た顔もいる インド人みたいな顔もいる むんむんと立ち込める熱気になかばいいようもない高揚感を感じた。
手馴れたペテン師がいたらいいカモに映っていたにちがいない。


クラシックプレイス・・・ここが空港のカウンターで割り当てられた私の宿だった。
バンコクがどういう地形でどこにどのような建物や施設や観光地があるのかうそみたいだがまったく頭に無かった私はカウンターの
おねーさんの出してきたお勧めホテルリストのなかからこれと指差して決めた。
中心部からちょっと遠いわよ。。といわれても中心部がどのような処かも知らないんだしバンコクには違いないんだろうからそれで
OKしてしまったわけで。




<コーラ一杯。。。。50ドル。。?!>

バンコクに来たらパポンに行かなきゃ!ホテルのセキュリティーガードが満面の笑みを向けて話しかけてくる。

ホテルについて以来、何もせずにホテルに一日中いる私をとてつもなく不思議に思ったんだろうなあ。

カモに映っていたんだろう。ぶらぶらと汗をふきながら有名なパポンを歩いた。歩くといっても牛の歩みのように列無き列に
従うしかない混み具合。(この雰囲気は今も脈々と受け継がれているね。)

いまではすっかり余裕の”満面の笑み”でNOと言えるのだがあのときは 彼らの笑顔のパワーに自我を失った。
バンコクではどうしてこうもみんな笑みが普通なのかなあ?微笑みの街 バンコク 天使のいるバンコク ホテルに備えて
あるヤマのようなパンフレットに刷られたキャッチコピーが頭をかすめた。
NOといったらわるいような部分であいまいな受け答えをしてるうちに、とにもかくにも生まれて初めてGOGOバーなる類の
店に連れ込まれてしまった。

楽しいとかぞくぞくわくわくとかそういう気分じゃなくただただ異次元への貴重な玉手箱をあける前のようなむずむずした気
持ちが一層Tシャツをあせであらった。
緊張していてアルコールを口にすることもできず注文をききにきたウエイターにコーラと注げてみる。
中は轟音のポップスが鳴り響き、女性たちがくねくねとステージで踊っている。
なんだか不思議なんだけれどまだ楽しさが伝わってこない。
暇なんだけど時間のつぶしかたがいまいちそぐわない。
タイの女性と仲良くしたいけれど言葉もわからない。
なにより腰につけられたそれぞれの番号がどことなくリモコンで動いているマネキン人形の製造番号みたく思えてきた。
でぶでぶの白人があせたらたらでビールをあおりそのマネキン人形を番号で指定する。
指定されたマネキン人形はリカちゃん人形みたいに愛くるしい笑顔ででぶでぶの白人にしなをつくる。
一時間ほどもたった一杯のコーラを前にこうした光景に浸っていたがまだ。。楽しさが沸いてこない。
初めてのバンコクパポンの夜をなぜその当時その場の生の感覚とともに思い出せるのか、それは初めてのバンコクで
まるでドラマのような恐怖にこのあと”いきなりもいきなり”出くわしてしまったからに他ならない。

単調で退屈そうなマネキンを眺めていて飽きも感じまたどこか無感情な気持ちになっておいとましようと、お勘定を頼んだ。
勘定が大げさな革張りの折りたたみのブリーフケースにはさまれて来た。
”え!・・・???”目が点になる。
”50USD・・”と書かれてある。”50B”の間違いでしょう・・と思い100Bを渡す。
当時は一B4円ぐらいのときだったから、50Bでも相当なものだ。
しかしウエイターの顔がみるみるゆがんだ。”NO。50USD”
全身からあせが吹き出てきた。”I have no money"これをいうのがやっとだった。
ととたんに私は腕をつかまれた。どこでかまえていたのかいつのまにもう一人のウエイターが私の毛片方の腕をつかんだ。
そしてわたしはステージの裏側の従業員控え室のようなところに連行されてしまった。
サングラスをかけたまるまると太った背広姿の男がいる。
そいつが”50ドル出さないと警察に言う”とどすの利いたこえでわたしに言う。
おびえちぢみながらも”はじめてのバンコクにしてはエキサイティングだな・・”と内心ささやくもう一人の自分がいる。
今ここには50ドルなんてもっていなから、ホテルに帰ってもってくると、その自分が私にこんな大胆な賭けをさせた。
”それでは従業員の一人を見張りにつけるからそのものとホテルに行け とサングラスをかけた男は取り巻きから一人に
あごで合図した。

私とその取り巻き君はタクシーにのり、クラシックプレイスへ。
セキュリティーガードが例のごとく笑顔で出迎えた。
ただし彼が 私の同伴者をみる目は鋭かったこのときわたしには3回までは賭けひきをやってみようと妙な興奮が全身を
覆っていた。
取り巻き君に同伴者はロビーで待つことになっているからここで待っていて、という。
彼はすんなりOKといっておとなしくロビーのソファーに座った。
私はレセプションでルームキーを受け取る振りをし、すばやく紙に"call to the police!と書いた紙を手渡した。
わたしは腰が抜けるほどいや心臓が飛び出しそうな気分で冷静さを装いにこやかにレセプションスタッフと会話をしつつ
時間を稼いだ。

ホテルとはいえ当時のクラシックプレイスのロビーは空調が聞いていない。
心臓の鼓動とともに汗がタキのように流れる。
今時分は何をしてるのか ここはうまれて初めてのタイバンコクほどなく物々しい警官が3人やってきた。
ツーリストポリースというらしいことはセキュリティーガードからの説明でなんとか理解できた。
警官の姿を見るとサングラスの男は{やばっ!!}って顔をあらわにした。
「COME HERE! 」ロビーーに居合わせた人々はなにがおきたのかと一気に視線がわたしに集中する。
ああ〜〜なんてこった。。救われたという気持ちとともに情けないやるせなさが頭を覆う。
サングラスの男と取り巻きとパトカーに乗ったときにはもうなにがなんだか頭がまっしろけっけだった。

警察とバー側とにいろいろなごちゃごちゃとしたタイ語のやり取りがあったあとわたしはようやく解放され、
コーラー代として当時のお金で300円ほどはらった。


かえりパトカーでホテルに送ってもらう車中で今度はツールストポリスがなにか言いだした。
見返りに200バーツくれよ・・

ああ〜〜なにからなにまではじめてのタイばんこくでこんなにはじけた思い出は
いまから思うと貴重だったのかもしれない・・

 
       
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